大谷翔平の名言~二刀流伝説の始まり~

大谷翔平

みなさん、こんにちは!

ルーキーです。

今回から、大谷翔平選手の名言について考察させていただきます。

よろしくお願いいたします。

NPB(日本ハム)に入団以降、二刀流として目覚ましい活躍を続けMLB(アナハイム・エンジェルス)へと移籍、そしてその活躍は更に高いレベルとなり、ロサンジェルス・ドジャースへと移籍して、現在ドジャース在籍3年目になります。

大谷選手が、学生時代からMLBへ移籍を夢見ていたことは有名な話ではありますが、大谷選手=二刀流のスタートについて名言を挙げさせていただきます。

名言:どっちでも頑張りたいです。やる以上は目指したい。
背景:日本ハム入団会見にて発した言葉になります。18歳の時点で、既に投手か打者かではなく、両方やるという発想を持ち、トレーニングや実際の試合において多くのインパクトを残すことになったのは、誰もが知るところになります。

NPBの世界において、投手・打者どちらかだけでも成功する選手が一握りの世界において、二刀流というほぼ前例がない挑戦をすることとなります。その決断の背景には、栗山英樹さんの功績が非常に強くあります。

私も、当時の大谷選手が既にMLB移籍を視野にという報道が続いていたため、「MLBのどのチームと契約を結ぶのか?」とばかり考えて発表の日を楽しみにしていました。しかし、そこにまさかの展開が待っており、日本ハムが大谷選手と契約を結ぶこととなったのです。

契約に至るまでも、日本ハムは熱意を持って大谷選手へ対応して折衝していき、何度も当時通学していた花巻東高校へ足を運んでいました。そして、そこでは「大谷翔平君 夢への道しるべ」と銘打った資料で二刀流としての育成計画を作成して説得、そして入団となりました。

「大谷翔平君 夢への道しるべ」には、
1.大谷選手の夢の確認
2.日本野球と韓国野球、メジャー挑戦の実態
3.日本スポーツにおける競技別海外進出傾向
4.世界で戦うための日本人選手の手法
をテーマとして、31ページにも渡り熱い想いが語られています。具体的な内容はこちらです。
https://emuzu2.frenchkiss.jp/03/zip/121213-nihonham-ohtani.pdf

大谷選手はのちに、「栗山監督でなかったらファイターズにもお世話になっていなかった」と振り返っています。前例のない二刀流を巡っては、投手か野手に専念すべき、どうせ二刀流なんか通用しないなど、入団前から様々な声が挙がっていました。

人との出会いが人生を変える

みなさんも今までの人生において、様々な出会いがありもしかすると大谷選手のように、家族、恩師、友人、先輩や後輩との出会いによって、人生が大きく変わった方がいらっしゃるかもしれません。

大谷選手と栗山監督との出会いによって、二刀流伝説が始まりましたが、もともとメジャー志向であった大谷選手は、NPBを経ずにMLB挑戦を表明していました。

実際、2012年のドラフト会議では他の11球団は大谷選手の指名を見送りましたが、日本ハムは強硬指名しました。ただ、大谷選手は当時「日本ハムに入団する可能性はゼロ」と語っていましたが、日本ハム(栗山監督)との出会い、そして熱意ある度重なる交渉にて入団に至りました。
実際の交渉は、以下の通りになります。

指名翌日:山田正雄GMと大渕隆SDが花巻東高校野球部の佐々木洋監督のもとに指名挨拶に訪れるも、大谷選手本人とは会えず、面会はわずか18分間で終わりました。

11月2日:2回目の入団交渉で自宅を訪ね、ようやく大谷選手と顔を合わせることができましたが、まずは指名経緯の説明とメジャー挑戦の意思を再確認するヒアリングを実施。栗山監督から託された、「大谷くんへ、夢は正夢。誰も歩いたことがない大谷の道を一緒に作ろう」という直筆メッセージが書かれたボールを持参。この時、山田GMが大谷家の愛犬エースと戯れ、その姿を見た大谷選手のお母さまは「愛犬家に悪い人はいない」と好印象を抱いたそうです。

11月10日:冒頭に触れさせていただいた「夢への道しるべ」をもとに、現状を様々な角度で伝えMLBでトッププレーヤーになるには、いきなりアメリカへ行くより、日本ハムでプレーしてからのほうが目標に近づく可能性が高いことをプレゼンされました。

11月17日:大谷選手も同席した4回目の交渉で、投手と野手の両方で育成する二刀流プランが提示されました。しかし、当の大谷選手も二刀流の実現には懐疑的であり、プロの世界でそれが本当に可能なのか?早い段階で打者一本になってしまうのではないか?と様々な考えがよぎったそうです。しかし、日本ハムは両方で超一流を目指すパイオニアになろうと提案しました。
大谷選手は、当時「自分の中でどちらをやりたいのか?やりたいほうは投手だが、どちらでというのは自分の中ではっきりしていない。どちらもやってみたい。すごく嬉しかった」と強く心を動かされたことを明かしています。

11月26日:栗山監督が岩手岩手での交渉に同席し、日本ハムに来てほしいと感情に訴えるのではなく、自分がメジャーリーグを取材する中で感じた、アメリカ球界の現実を整理して伝えました。メジャーで活躍するためには絶対に日本でやって、メジャー契約をしてアメリカへ行くべきだ、と。評価をもらって、場所をもらって、向こうに行かないと、なかなか日本人選手は活躍しづらいという話をされています。栗山監督は、「日本ハムへ来てください」ということは一言も言われず、大谷翔平の夢を叶えるんだったら、俺だったらこうしますとご自身の経験をもとに話されています。

12月3日:栗山監督が同席して、大谷選手、ご両親に再び会い契約、前年までダルビッシュ選手がつけていた「背番号11」を提示しました。

12月9日:ついに、大谷選手が日本ハムへ入団の意思を伝達。

もし、日本ハムも指名を見送り18歳の大谷選手がMLB挑戦をしていたらどのような選手になっていたと思いますでしょうか?
もし、日本ハムが二刀流ではなく投手、野手どちらかに絞っての育成プランを提案していたら、大谷選手は日本ハム入団を決断されたでしょうか?

日本ハムに入団してほしいと感情的なお願いではなく、大谷選手のことを第一に考えた育成プラン、想像を超えた二刀流という提案、そして熱意、栗山監督との出会いが、日本ハム入団という決断に至りました。

大谷選手の名言をピックアップさせていただいたのは1つのみでしたが、大谷選手と日本ハム(栗山監督)との出会いについて感銘を受け、出会いと入団の経緯に絞ってフォーカスさせていただきました。

人との出会いで人生は変わる。そこまではなくとも、人から刺激や学びを得ることで、自分自身の人生を前を向いて歩んでいける。

人との関わりというのは、非常に尊いものである
と大谷選手と栗山監督との出会いを通じて勉強させていただきました。

最後までご覧いただきありがとうございました。

次回も、大谷翔平選手の名言について考察させていただきます。

よろしくお願いいたします。

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